家族構成
父・母
小学4年生女の子(不登校)
不登校初期状態
クラスの友だち4人組の内部での小さなイザコザにより
学校が嫌になって休み始める。
4人組が3人とこの女の子1人になってしまい苦痛を感じる。
学校の勉強はクラストップで勉強に対する悩みはなく周囲から勉強については教えて欲しいと頼られていた。
実はこの他者からの自己イメージに疲れていたと不登校後のカウンセリングでわかる。
女の子も自分で疲れてきたことには気づいていなかった。
不登校スタート年月
2013/10/15
不登校支援専門カウンセラー関わり方
勉強ができるイメージが強くなるのは勉強に意識が向きがちであること。
そこを軽くして他者からのイメージを変えてもらう。
母親は有名偏差値72の大卒で一流企業就職。
母親の母親は教育に熱心で自分の子どもにも3歳時から
英語や公文、ダンスなどの習い事をたくさんさせていた。
子どものポテンシャルは高く習得が早く成果が出たら学校ではそれが負担になっていた。
この状況を母親と共有。カウンセリングによって母親の人生を過去から未来に。
母親と子どもは違う人生を生きることを母親の人生軸上にアップデート。
子どもができるからと押し付けていた勉強に対する意識を修正。
女の子に出ていた脊柱ののアンバランス、頸部筋肉の過緊張、腹直筋の短縮などを
姿勢コントロールを高めながらアライメントを修正。
姿勢が取りやすくなり、過剰に使っていた視覚も軽減して視野が広くなる。
自己イメージに意識がつながるようになり自分の人生は自分で決めていくと
理解できるようになった
復学まで期間
4ヶ月
復学前日
があってそれが同じだけのボリュームで反作用を持つことを理解。
安堵の背景には緊張が存在すると。幼少期から勉強やダンスを頑張ってきたことで緊張が続いてきた。
その緊張の背景には安堵感があるはずだけどそこに意識が向けられなかった。
不登校中のカウンセリングと課外アクティビティによって気づいていけた。
人間関係は苦しいだけでなくその向こうには安堵感があることを人とのコミュニケーションを通じて体感。
復学後は自分に期待せずに友だちとの関係を自分らしくトライするとイメージ。
勉強で成果を出すことばかりだった不登校以前の学校への意識を変えることができた。
再登校10日後
再登校10日後は元の4人組と交流ができないことに苦を体感。
そもそも勉強ができる自己イメージで3人は付き合っていたことに気づく。
4人組での交流を自然現象にゆだね、違う友だちにも意識を向けるように。
勉強ができた自分を捨てコミュニケーションを楽しむようにトライ。
勉強ができるかできないかで友だちを評価してきたことにも気づく。
そこから友だち関係が楽になり4人組での交流に固執しなくなった。
再登校1ヶ月後
再登校1ヶ月後にイザコザにあった4人組の1人から自然に声をかけられて話をするようになった。
それだけで純粋に嬉しいと体感。
その背景には固執しすぎないことにも意識ができる。
その時に勉強ができることでで評価を得ようとしていた自分が見える。
勉強ができることを4人組での交流でも出してきたように感じた。
そこからは友だちの良い面を見れるようになり、今までにない学校への楽しさを感じた。
再登校3ヶ月後
2学期最後のテストがあって勉強にはいつものように取り組んだがテスト勉強以外で興味が出た分野に対する勉強をしてみた。
それまではテストで良い点数を取ることが目的だった。
テストの点数を母親に見せて自己評価を高くすることが目的だったことに気づく。
勉強する楽しさを再確認できてさらに勉強を楽しみながらと思えた。
そこから自分への余裕が生まれた。母親はメンタルコントロールによって子どもに過度に勉強するように促さなくなった。
母親は子どもに負荷をかけていたことに気づき、生活面で子どもと共有できるお手伝いなどを提案。
再登校1年後
再登校1年が経ち風邪を引いて高熱が出たとき以外は休まずに登校に成功。
テストの点数は依然クラスでトップ。それまでのガリ勉のスタイルは取らなくなり自分のココロに意識が向けられるようになった。
勉強が好きなことを知り学校の先生が話す内容で興味があったら図書館で探してみるとか好きな勉強への取り組みが変わり学校へ行く目的が見えた。
母親はそれまで勉強が遅れるから学校は絶対に休まないようにというプレッシャーから解放。
母親自体が「学校は行っても行かなくてもいい」という新しい価値観によって子どもへの執着が解放されてテストで良い点数を取るために
学校に行くものだというストレスがなくなり、不登校はなくなっていった。